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『Tennis 』ヒストリア vol.13
カテゴリ:スクールトピックス | 2019.02.07

1984年から1990年までの間、イワンレンドル(チェコスロバキア)は、全仏・全米・全豪のタイトルを取っている。

ウィンブルドンのタイトルが欲しかったようで、最後の方では全仏を蹴ってイギリスに乗り込み、天然芝に備えていたが念願のタイトルは取れなかった。

ウィンブルドンという大会は、初めての世界大会であった事、元々テニスはローンテニスと呼ばれていて天然芝のコートである事、伝統がありウェアは白でなければならない事、格式が高くイギリス王室のケント公爵が表彰式に出席される事、等々によりテニス選手にとってグランドスラムの中でも特に思い入れがあるようだ。

レンドルと言えば、ストロークプレイヤーだがフォアハンドが当時、世界1だったと言ってもいいだろう。
特徴的なのはテイクバックだ。
肘から引くのだが、極端に手首を遅らせるモノで完全にマネできる人は、いないのではないだろうか。
直江校長はそれを社員コーチにやらせたが、
それを活かせたのは、戸田選手(全日本ベテランベスト8)、伊南選手(全日本本戦出場)の2人ぐらいだろう。
活かせたというのはテイクバックの時、手首をコック(折ること)しないで、ラケットヘッドをフォワードスイングまで引かないという意味である。

*女子では1975年から1990年を中心に、
マルチナ・ナブラチロワ(チェコスロバキア出身)はグランドスラムのタイトルをシングルスで18回、ダブルスで31回、混合で10回取っている。特に、ウィンブルドンは大会史上最多の9回優勝だ。
シングルスではオープン化以降、最多勝の1442勝、167のタイトル(ダブルス177)を取っている。
因みに、先日の全豪オープン決勝のペトロ・クビトバもチェコスロバキアの選手だ。
チェコは東欧圏でドイツの隣りだが、有名な選手は、メシール、コルダ、女子では、マンドリコワ、ノボトナなどがいる。

追伸
1981年、テニスユニバースはプリンスと契約し、その頃ラケットは70平方インチのウッドが普通だったが、110平方インチのデカラケが発売された。
浜松の男子は、プリンス・ウッディーというウッドが混じっている定価46,000円のモノを図々しくも選んだ。
目白の吉田ヘッドコーチはプリンス・クラッシック(18.000円)、サンプラの高田ヘッドコーチはプリンス・ブロ(33.000円)、直江校長はプリンス・グラファイト(90.000円)というところだ。プリンス・グラファイトが90.000円という時代があったのだ。
さらにプリンス・ボロンは150.000円で大正セントラル目白の会員さんでお持ちの方がいた。
(皆んな、ワォーと言っていた)

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つづく
サンプラのひきさん

TACサンプラザスポーツスペーステニススクール

http://www.tennisuniverse.co.jp/school/nakano/

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