スクールブログ

『Tennis 』ヒストリア vol.14
カテゴリ:スクールトピックス | 2019.02.21

1985年、ステファン・エドバーグは全豪を取り、1992年までグランドスラムのタイトルを取っている。
エドバーグはスウェーデンの貴公子と呼ばれネットプレイヤーであり、華があった。
特にツイストサーブ(逆にはねるスピンサーブ)からのネットプレーと、シングルバックハンドトップスピンでクロスから来たボールをストレートに切り返す時、サイドスピン系で外にキレて行く様なショットがうまかった。

1988年から1989年にかけては、マッツ・ビランデル(スウェーデン)も、グランドスラムを取っている。ボルグ・エドバーグ・ビランデルとスウェーデンは世界ナンバーワンを輩出していた。

この頃、スウェーデンは全盛期となり、84年、85年、87年はデビスカップを取っている。
DAVIS CUPは、ドワイト・デイビスさんが優勝旗を寄贈した事から名付けられた。

歴代優勝国は、アメリカ32勝、オーストラリア29勝、イギリス10勝、フランス10勝、スウェーデン7勝と言ったところだ。
2000年以降に限れば、スペインの5勝が最高となる。

直江校長はこの頃、スウェーデンに視察に行った様だ。古くから、イギリス、フランス、オーストラリア、アメリカの時代があったが、まさにスウェーデンの時代があった。

また、スウェーデン以外で印象に残っているプレイヤーは、1987年、ウィンブルドンを取ったオーストラリアのパット・キャッシュだ。
髪はブロンズ、顔はイケメン、そして野性味にあふれている。
テニスはネットプレイヤーだが、少し泥くさく足は長くなく太く、親しみを感じた。
浜松の男子は、マッケンロー の次に好きなプレイヤーはパット・キャッシュだった。

追伸
1983年頃、テニスユニバースはプロケネックスとラケット契約を結んでいた。
ある日、直江校長から電話があり、ラケットを貸してくれと言われた。
明日、ジャパン&アジアンオープンの予選に出ると言うのだが、グラファイトドミネーターという同じラケットを使っていたためだ。
浜松の男子は、高田馬場駅に持っていったところ、「お前も来るか?」と言われ、ノコノコついて行った。
有明テニスの森公園に着き「サインアップしろ」と言われ、「じゃあ、練習しよう」、と言われ、
「二人があたったりしてな」と言われていたら予選1回戦で本当にあたった。
そして、勝っちゃったら可哀想だな、と思ったら負けていた。(3-6、4-2リードからの4-6)

直江選手の2回戦の相手は、全日本ランキング10位の橘選手(日大出身の福島けんしん所属)でサーブが鬼のように速かった。
その時初めて、ボルグの頃にダブルバックハンドを練習していた理由がわかった。
あれだけシングルバックハンドが上手い直江選手が、そのサーブをベースラインより2メートルぐらい下がって両手打ちで返そうとしていたのだ。
数日後、亜細亜大・堀内監督が選手だった時、目白に直江選手と練習しに来た。
直江校長が京王テニスクラブにいた時、堀内さんがジュニアにいて、教えていたようだ。
堀内さんは言った。「直江さん、本戦に来ていれば出れたのに!」

えっ、俺も行っていれば、ATP取れたって事!!
行けばよかった〜。(ATP1点でJOP20点換算だったかなー。全日本ランキング80位ぐらい行ったんじゃないの?)

でも、直江さんは予選で負けて本戦のウェイティングをする事は絶対にしない人間だった。

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つづく
サンプラのひきさん

TACサンプラザスポーツスペーステニススクール

http://www.tennisuniverse.co.jp/school/nakano/

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