スクールブログ

『Tennis 』ヒストリア vol.12
カテゴリ:スクールトピックス | 2019.01.24

1979年、ジョン・マッケンローは全米オープンを取り、1984年、全英・全米のタイトルを取るまで世界のトップとして活躍した。

マッケンローが他のチャンピオンと違うすごいところは、ダブルスでもグランドスラムのタイトルを取っている点である。
同じ大会で、単複のタイトルを5回取ってる。男子ではマッケンロー以来、エドバーグが
1回取ったぐらいではないだろうか。
シングルスは5セットマッチで7試合、ダブルスでは3セットマッチで6試合を勝っているのだ。

マッケンローのマネは全部やってみたが、何ひとつ上手くいかなかった。
ただし直江校長は、ボレーに関してマッケンローのように、頭を動かさないで姿勢よくし、上体を倒したり足を踏み込むのではなく、軸足(腰)を前に出すように指導していた。
そして今もその基本は変わらない。
(校長の前では「踏み込む」という言葉は禁句となっている)

*現在、全豪オープンが行われているが、センターコートはロッド・レーバー・アリーナと名付けられている。
ロッドレーバー(オーストラリア)は1962年、1969年と年間グランドスラムを2度も達成している。
男子では1938年、アメリカのドン・バッヂと二人しかいない。

また、メインコートにマーガレット・コート・アリーナがある。
マーガレット・コート(オーストラリア)は
1970年に年間グランドスラムを達成しており、
その上、シングルス24勝、ダブルス19勝、混合21勝とグランドスラム64勝で歴代1位である。
女子の年間グランドスラムは、1953年モーリン・コノリー、1988年シュテフィ・グラフと3人しかいない。

追伸
浜松の男子は、大正セントラル目白・初代ヘッドコーチ吉田輝也さんに誘われた。
「社員にならないか、年収はコレだけだすぞ。」彼はすぐに「ハイ」と答えた。
1981年、彼はテニスユニバースの社員になったのだが、この年、マッケンローがボルグの6連覇を阻止しウィンブルドンのチャンピオンになった。
そんな事もあり、1番好きなテニスプレイヤーは、やはりマッケンローだった。

20190108115258n4GRiQo26lLNoU0z.jpg

右:大正セントラルテニスクラブ目白初代ヘッドコーチ 吉田輝也

浜松の男子は初任給を見た時「アレッ」と思った。

 

つづく
サンプラのひきさん

TACサンプラザスポーツスペーステニススクール

http://www.tennisuniverse.co.jp/school/nakano/

Page TOP