スクールブログ

『Tennis』ヒストリア vol.11
カテゴリ:スクールトピックス | 2019.01.08

1974年、ビヨン・ボルグ(スウェーデン)は全仏のタイトルを取り、1981年までウィンブルドン5連覇を含め、グランドスラムのタイトルを取っている。
ジミー・コナーズ、クリス・エバートあたりまでは、ストロークはフラットが主流であった。
ボルグが現れて以来、世界のテニスはトップスピンへと移行していく。
ボルグと言えば、1983年、国際スポーツフェアというイベントで日本に来日し、テニスのレッスンを行った。
その時に企画運営をしたのが、大正セントラル目白の運営をしていたステップという会社だった。

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左から:直江校長、梅田取締役、ビヨン・ボルグ


その関係でボルグのレッスンのアシスタントはテニスユニバースのコーチングスタッフがやることになった。
各ショットのレッスンの後、シングルスのデモンストレーションを、ボルグ相手にコーチ3人がサーブから2ポイント交代でする事になり、浜松の男子もそこに加わった。
観客も多い中、ビビった彼はサービスがかすれて当たりネットを超えることができなかった。
そして後で直江校長に叱られた。
「ネットを越せ!」その時は失笑したが、ネットミス、それがテニスの試合をする上で第1におかしてはならないミスである、と直江校長は考えているようだ。

ボルグに関した直江校長の逸話がある。
ボルグは期間中、ヒルトンホテルに泊まっていたようだが、そのプライベートコートで直江校長は、ウィンブルドン5連覇したボルグと試合をしたそうだ。
結果は誰も聞かないが、そのころ何年間か直江校長はボルグのダブルバックハンドの練習をしていた。

追伸
浜松の男子は、1980年5月、アルバイトコーチの面接、実技試験で直江校長に会い、車の助手席に乗せられ、東林間テニスクラブに連れていかれた。
そこにはジュニア(高校3年)の富永という選手がいて試合をし、確か4ー4で終わったような気がする。
富永選手は時代の先端を行くトップスピン、ロングヘアで甘いマスクのイケメンボーイ、かたや男子は昔ながらの、前傾姿勢からの、
目一杯スウェーするフラット、短パンも泥だらけ、髪もボウズからやっと毛が生えた程度だった。

つづく 

サンプラのひきさん

TACサンプラザスポーツスペーステニススクール

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